片山知事 答弁

 児童相談所の件ですが、先程言ったように現場だけに責任を負わせて、県政はほったらかしということはあってはならない。もちろん事態は現場で発生し、そこには専門のスタッフを揃えているので、第一次的には児童相談所で案件を処理してもらいたい。しかし、困難な事案については、ある意味スーパーバイザー的な機能を要する、中央児童相談所で対応することになってます。更に困難なことは本庁も一体となって問題解決に取り組みます。バックアップ体制をととのえながら仕事を進めていく必要がある。その過程で、スタッフ不足とかスキルアップとかのシステムを充実させるのは私をトップとする本庁の仕事です。その中で間違い等があれば、県庁が責任を負います。児童相談所に限らず、警察等色んな分野で言えます。
 一時保護で農大を使うということですが、施設がいるのも確かだが、保護された児童の行動を把握する心理判定等のスタッフが必要になります。きれいな宿泊施設があるというだけでは、その機能は果たせません。問題はスタッフをどうやって確保するかということです。県としては何とか一時保護の体制を整えたいと考えています。

 中浦水門の撤去の件ですが、治水の件から考えないといけないという点はその通りで、農林水産部長から答弁します。
 地元業者への発注ですが、できるだけそうしてもらいたいという事で、働きかけ、要請はします。しかし相手のある話ですので、我々一生懸命要請しますけれども、それで「はい、わかりました。」と言ってもらえれば良いんですけども、先方には先方の事情がありますので、そこは粘り強く言わなければいけないわけであります。
 それから、中浦水門の撤去に関連して、属地主義ということを私が申しまして、これについて「知事が必ずしもこだわってないので安心した。」とおっしゃいましたが、実は私はこだわっているんであります。こだわっているので、島根県知事に対しても属地主義をきっぱりと申し上げたのであります。それに対して島根県知事もこだわっておられまして、従来の淡水化計画を進めてきたその費用負担割合でやるべきだとこだわっておられました。ですから、こだわっている者同士が、まず最初にお互いのこだわりを把握して、そこからどういうふうに物事を解決していくのか、どういう形成をしていくのか、という事が始まったわけであります。絶対か絶対じゃないかというのは、一人だけで物事を決められる時には、絶対で良いですが、ただし、今回のようなケースは相手がある話でありますので、お互いが絶対という事でこだわりだけを主張していたら最後まで平行線でありますので、どこでどういうふうに調和させていくのか、これがこれからの作業だろうと思います。実は金額で言いますと、お互い突っ張ってる案を比べてみて、目の玉が飛び出る程違う金額ではないのであります。むしろ、理念とか経緯とかがあるんだろうと思います。もとより共同で始めた事業でありますので、第三者の手をかりなくて決めるべき問題だろうと思います。
 地方課長のときに内心じくじたるものがあったんではないかというご指摘もありましたが、実はそうであります。じくじたると言えるかどうかわかりませんが、私なりにこだわる事情と理由がないことはありません。昭和56年の今頃だったでしょうか、管理境界線と当時は言っておりましたが、その後平成4年に正式な境界線に格上げになりましたけども、当時は管理境界線として線を引く作業をしたんであります。最終的には松江市の旧日銀支店跡、今のからころ工房の2階で線を引っ張ったんでありますけども、そうなるまでには色んなことがありまして、両県でなかなかまとまらないものをまとめたのを今でもよく思い出しております。じくじたるということで言いますと、地元の関係で言いますと、外江と渡、更に弓浜校区、ここは岸壁から25mの所に線を引いたというか、引かされたわけであります。本来ならばもう少し沖合いの方に、特に中浦水門はまん中でどうかと、こちらは提唱したんでありますけども、やはり江戸時代の古事によりますとか、外江・渡をどこから陸地化してきたかの経緯もあったりして、外江の一部は島根県だ、とこういうご主張も先方にはあったわけであります。渡もそうだと。中浦水門の江島の所は、島根県側を実は掘削をして開削をしているという事もありまして、現在の中浦水門の所を両県のまん中でという説は退けられたものであります。さらには弓浜校区も鳥取県側から出っ張ってきているので、弓浜校区の中に線を引きたいぐらいだ、というのが島根県の主張でありましたが、それは不可能だろうという事で25mで引いたわけであります。米子で言いますと、彦名干拓も25mの所に引いたわけであります。これは1/25000 の地形図の位置にということで25mとしたわけであります。それを引く時に、実は鳥取県内では議論があったわけです。本当に批判も多かったです。特に当時の県議会の土谷栄一さんからは「外江や渡から小便をしたら県境を越えてしまうぞ。」と言われ、「決してそんなに飛びません。」とお答えしたこともあります。更に強硬だったのは当時の境港市長の安田貞栄さんで、非常にこだわられました。境港市役所に内浜の道路を道路事情の悪い時に通いまして、安田市長や榧野助役へお参りして事情を説明して、やっと同意をいただいたのが昭和56年になります。最終的に引く時に、平林知事と西尾知事でありましたけども、やはり必ずしも満足していただけませんでした。かなり不満があったと思います。交付税は減るし、「こんな所に線を引いて、君は最後まで責任を取るんだろうな。」と言われて「はい。」と言って今日になってるんでありますけども、そんなことがあるものですから、その時に島根県に話をしたのは、「こんな鳥取県にへばりつくような所に県境を引いたら、後で皆さん困りますよ。」と、「これから県境で費用負担とか色んな事を決めることになるので、水面が大きければ確かに交付税は何百万か島根県は増えるかもしれないけど、しかし費用負担は増えますよ。それでも良いんですか。」と何回も申し上げたんですが、「それでも良い。」と、こういうことだったんであります。それから当時の安田市長とか県庁内部とか土谷議員を説得するのも、「こうやれば鳥取県側の費用負担が少なくなるんだから、良い面もあるでしょう。」と説得をして、こうなったんであります。ですから、例えば境港の外江の辺でしょうか、飼料の会社か倉庫が当時あったんですが、そこの岸壁の向こうにちょっとした構築物があって、それが島根県と鳥取県の25mの境界位の所にあって、もしそれが島根県側にあれば八束町が固定資産税を課税する。こちら側にあれば境港が課税する。米子空港の滑走路を1500mから2000メートルに延長したときに沖合に照明灯、誘導灯ができたんでありますけども、あれも三つ位島根県側に入ってるんであります。あそこは基地でありますから、基地交付金の対象になるんであれば、それは八束町の方の基地交付金の対象になる。と、こんな事まで決めたんであります。ですから、そういうことまで属地主義で決めたものですから、今回やはり属地主義にこだわらざるを得ない心境にあるということは、ぜひご理解いただきたいと思います。漁業問題以外は、この県境で属地主義で決めましょうというのが昭和56年の取り決めでありました。ただ、それはそれとしながらこれからどうやって両県で解決していくのかということを、相談してまいりたいと思います。




 
坂出農林水産部長 答弁

 中浦水門の撤去工法についていくつかの事項をあげられまして、国土交通省との意見調整が必要ではないか、とこういうおたずねでしたが、先程も申し上げました通りでございまして、当然の事ながら農水省と国交省との間で、治水面での協議というのが必要だと認識しております。従いまして、私どももその事についてはよくよく注意して進めていきたいと思います。




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