さて、我々衆生は、自分に何か危険が近づくと、本能的に我が身をかばってしまう、

そんな生命体としての排他行動、生命維持行動。そしてそれらがもららす様々な欲求

と言うものがプログラムされています。

更にその欲求を満たす為に欲に親しむ事になれ、どうかすると過度な欲望を求めてしまう。

そういう自分自身の心の弱さと。

生まれながらにして持ち合わせた他の生命を慈しみ、他の不幸に激しく同情する心。

誰かの役にたちたい、

自分を他の生命との関わりに中で不必要なものだと思いたくない
と言う心。

わたしたちは、この二つの異なる欲求のせめぎあいの中に生きているのでは無いでしょうか。

そして、本来我等衆生を幸福に導くものは、一体どちらの欲求であるのか。。。。。

それとも、本来幸福とは、そのような様々な欲求の調整にあるのか。。。

否定にあるのか。。。

なかなか、断定する事は困難です。

わたしは、その答えをまさしく法華経の中に見つけようとしているのかも知れません。

しかし、その前に、一体、佛とは、どのような存在なのか、それをご紹介したいと思います。