当社の主祭神であるアメノオシホミミノミコトが葦原中国を治めよとの命を受け、ご降臨なさろうとしたとき、御子神のニニギノミコトがお産まれになったので、ニニギノミコトがご降臨になられました。親子で数々の偉業を遂げられ、この地に最初に宮殿を建てられたので、壹宮大明神と申し上げたということです。

安産の神様であるシタテルヒメノミコトは、オオクニヌシノミコトの娘であり、医療、医術の知識も豊富で、よく人を導かれました。

シタテルヒメノミコトが夫のアメノワカヒコと暮らした場所とも言われています。

孝霊山(こうれいさん)は縄文時代からの聖地であり神奈備山です。壹宮神社は孝霊山が最も美しく望めるところに鎮座しています。伝説では大山と背比べをして負けた山とされています。

往古の境内地は現在よりも広大なものでしたが、兵火にかかり灰燼に帰し、神器、古文書等多くが消失してしまったということです。 昔の住所は西伯郡高麗村大字上萬(じょうまん)字澤形。 「澤形(さわがた)」とあるように澤形神社がありました。また「宮田」という字もあり宮田神社もありました。宮田神社のご祭神が下照姫命(したてるひめのみこと)とされていました。 大正5年、富岡神社・野田神社・清原神社・庄田神社を合祀。
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