遺跡発掘調査作業も2000年〜2014年までで14年間になります。
1年目はペンション村近くのトレセン予定地「真野ブヤ原遺跡」の予備調査、2年目は同じ場所の本調査、 3年目はリサイクルプラザ下の灰溶融装置建設予定地「岸本大成遺跡」の予備調査と本調査、家の近くの 県道バイパス予定地「長者屋敷遺跡」の予備調査です。土器等の遺物が出土するとうれしくなります。 宝捜しの面白さですね。 住居跡などの遺構や、土器等の遺物の画像を中心に、遺跡調査の解説も少々。 遺跡調査というと、歯ブラシでチョコチョコとやるかと思っていたのに、刈払い機での草刈、 チェーンソーを使っての樹木伐採、あとスコップ、鍬、大ガリなどを使った完全土方系の作業でした。TOSHIとうちゃん、ダイエットに絶好の仕事です。 |
伯耆町調査区・溝口三部:古城山遺跡(砂防ダム予定地) |
平成25年11月にパネルや出土品の展示会が開催されました。この遺跡の概要が展示されていましたので、それをまず紹介します。 |
三部古城山遺跡は、伯耆町三部字古城山に位置します。この遺跡を平成22年、伯耆町教育委員会が 発掘調査しました。平成23年から24年にかけて出土遺物を整理し、本年、調査報告書が完成しました。今回展示する遺物は、 この2ヵ年の整理作業で判明した、本調査の重要出土遺物です。調査の結果、本遺跡からは、戦国時代から江戸時代初め にかけての鋳造工房址が発見され、炉の破片、鍋・梵鐘・茶釜等の鋳造に用いた鋳型の破片が大量に出土しました。 その出土量から、本遺の鋳造工房は、鋳物製品を大量に生産した工房であり、その生産量は当時、山陰では最大であったことが判明して います。他に、製鉄、鍛冶に伴う鉄滓も少なからず出土しており、特に奈良時代の鉄滓が出土していることは、この地で古代から 製鉄か行われていたことを明らかにしており注目されます。また、室町時代と江戸時代初めの、古墓を2基、室町時代から江戸時代初めに かけての国産陶磁器・土器、中国、朝鮮から輸入された磁器も出土しました。 |
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製品や炉壁、鋳型、鉄滓(てっさい)等を廃棄したもの | 鉄滓:砂鉄を熔かした時の不純物のかたまりで鉄分も含んでいて、かなり重い |
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唐津焼や土製の皿、火葬骨:一番下の白い物など | 中国などから輸入された白磁、青磁 国産の備前焼、瀬戸焼など |
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鋳型 | 炉壁:左側筒状の羽口(空気の取入れ口)中央が底部 |
伯耆町溝口の三部地区は、「鬼の館」の下の道を南(二部方面)へ2kmぐらい行ったところです。 ゴルフ場の看板のあるT字路を右折して200mぐらいのところが調査地です。このあたりは戦国時代の山城が多く、また、かなり古くから「たたら製鉄」が盛んだった所です。 遺跡調査は平成22年ごろから足掛け3年ぐらい行われました。特にこの三部古城山ではびっくりするほどの出土品がありました。製品、炉壁、鉄滓、副葬品、人骨などです。 中でも廃棄物としての鉄滓は、1トン位の重量を取り上げました。夏の暑いと時は熱中症になり、冬は雪かきをしながら足のしもやけを我慢して、かなり過酷な作業 でした。その後の整理作業も大変で、採取した土に篩をかけ粒度を分類したり、鋳型や炉壁を水で洗ったり、旧日光小学校の体育館いっぱいに出土品で埋まりました。 それだけに思い出深い作業でした。 |
鳥取県教育文化財団調査 坂長第6遺跡(国道181号線バイパス予定地) 大殿狐谷遺跡(県道バイパス予定地) |
伯耆町内の国道181号線予定地の「坂長第6遺跡」と県道バイパス予定地の「大殿狐谷遺跡」の発掘調査は、昨年の9月に終了しました。「坂長第6遺跡」の調査結果はすぐ下の項目の「現地説明会」の通りですが、もう一つの「大殿狐谷遺跡」でも貴重な遺構や出土品が発見されました。この部分は3年ほど前に町で調査したすぐ横で、古墳の周溝から、殆ど分散していない状態で14体の「円筒埴輪」が出土しました。ちょうど、土に埋まった状態で上から押しつぶされたような格好で出土したものです。この度、それらの円筒埴輪や、坂長第6遺跡の鉄工房跡から 出土した「羽口(ふいごの先端の円筒状のもの)などが復元されましたので、ご紹介します。 |
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鳥取県教育文化財団調査・坂長第6遺跡:(国道181号線バイパス予定地) |
伯耆町内の国道181号線予定地の「坂長第6遺跡」の調査が現在行われています。私も作業員として参加しています。調査はまだ、終わっていないのですが、6月27日〜30日に記者発表と、現地説明会が開催されました。
これまでの調査でこの遺跡からは、奈良時代の会見郡の役所「会見郡衙(あいみぐんが)建物跡」(掘立柱建物跡)発見され、それに付随した「鍛冶工房跡」も発見されました。掘立柱建物跡は上の地図の「坂長下屋敷遺跡」でも発見されています。かなり大規模な役所建物群であると思われます。「鍛冶工房跡」では、鉄を処理した「ふいご」の羽口や「鉄床石(かなとこいし)」、多量の鉄滓(てっさい=鉄を溶かした後の不純物)が発見され、報道陣や一般の方に公開されました。このような出土品をそのまま公開するのは大変珍しいことで、私もいくつかの現地説明会に行きましたが、初めてのことです。これだけの「官営工房跡」の発見はおそらく山陰地方で初めての事でしょう。大変貴重な体験でした。 |
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奈良時代「鍛冶炉」跡 | 鉄をたたいた作業台「鉄床石(かなとこいし)」 | 溶かした鉄の不純物などを廃棄した「排滓場」 |
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鉄床石の赤丸部分に鉄の付着物が・・ | 古墳時代初頭の「竪穴住居跡」 | 奈良時代の「掘立柱建物跡」(SB1) |
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奈良時代の「掘立柱建物跡」(SB3) | 奈良時代の「掘立柱建物跡」(SB4)と溝状遺構 | 「柱穴(ちゅうけつ)」赤丸部分が柱の位置 |
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出土品・「鍛冶滓」と「被熱石」 | 出土品・奈良時代の須恵器(灰色の硬質土器) | 出土品・漆を入れていた「須恵器の壺」 |
伯耆町調査区・長者屋敷遺跡(県道バイパス予定地) |
平成17年12月〜平成18年3月まで本調査が行われました。
私自身は最後に埋め戻しをした位で、発掘作業はしていないのですが、大きな「溝状遺構」が発見されています。調査区は幅が狭く、溝の長さは4.3mぐらいのものですが、次の欄に掲載しています県の調査で見つかった溝と、直交する形で掘られています。 地図の画像で、県の調査分の溝は南北方向、この度の伯耆町の調査分の溝は東西方向で、仮想・溝ライン(青い破線)はP点で直交しており、A−P,B−P共に100m位と、大きな規模です。2箇所の溝の底のレベルがほぼ一致しており、溝からの出土品も同時代のものなので、同じ溝だと考えられるようです。約25年前の調査で県・調査区の北西側に掘立柱の建物が2棟確認されており、この溝は奈良時代の郡役所の建物《郡衙(ぐんが)》を取り囲むように掘られている様で、南東側の角(P点)が推定出来たことで範囲の推定が可能になったようです。 |
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町・調査区全体と溝 |
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溝状遺構 | 空撮のヘリコプター |
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出土した土器・須恵器や土師器 | 土師器 |
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県・調査の溝状遺構 | 県・調査区と黒っぽい所が溝 |
坂長下屋敷遺跡・長者屋敷遺跡(県道バイパス予定地) |
平成17年4月〜平成17年9月まで本調査が行われました。
調査地は、予備調査で奈良時代の郡役所跡らしいものが有ったので、期待されました。
期待通り、『坂長』のほうで、たくさんの建物・柱跡が発見されました。見事に縦横に配列されています。このあたりは古代の会見郡になりますが、
その郡役所である「![]() |
坂長下屋敷遺跡・遺構画像 |
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配列された柱跡・南から | 配列された柱跡・北から | 半裁された柱跡 中央に黒っぽい柱跡、その回りは埋め戻された土 |
一方、長者屋敷のほうは建物跡は発見されませんでしたが、 奈良〜平安時代と思われる大きな溝状遺構、弥生時代(約2000年前)の土坑(穴)の中に多量の弥生土器片が見つかりました。 この土坑の発掘は私も手がけました。殆どばらばらの状態なので、棄てた物か、ある種の土器供養なのか不明です。 |
長者屋敷遺跡・遺構画像 |
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北東部の全景 奥の黒っぽい部分が溝状遺構 | 溝状遺構の断面 | 完掘された溝状遺構 |
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南西部の全景 黄緑の線内の黒っぽい部分が次の土坑 | 掘り下げ前の土坑遺構。黒っぽい部分を取り除いていく | 完掘された土坑と土器群 |
最後にはこのようなヤグラを組んで、調査員さんが写真撮影をします。全景を撮ったり住居跡などの部分撮影も行われます。 |
真野ブヤ原遺跡(競走馬トレセン予定地) |
JRAトレセンとしての開発予定地です。町内に遺跡調査の指定地があり、そこで開発行為が行われるときに調査が行われます。
予備調査は自治体の費用負担、本調査は開発者の負担になります。 予備調査は、まずトレンチと呼ばれる2m×10mの孔を、表土から削るように掘り進めます。 大山周辺では黒ボクと呼ばれる火山灰土が有り、その土層を掘り進める過程で土器、鉄器などの遺物が出土します。 それを更に削っていくとその下に弥生時代の土層とされる黄色味を帯びた粘土質の層が出てきます。 その黄色の層の中にくっきりした丸や四角などの黒っぽい土層が出てくると、それが昔の柱の跡や住居跡などの遺構です。 本調査は予備調査の結果を踏まえて範囲を広げて行います。 |
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トレンチと呼ばれる試掘孔 ここでは2m×10mを20箇所程度 |
本調査時に100m×100mの格子状のグリッドと呼ばれる区画割りを設ける | 出土時点の弥生式土器 直径20cmぐらいの壺 |
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竪穴式住居跡直径約6m 20cm程度の柱跡が見られる |
竪穴式住居跡・何度も建て替えが行われたようで、遺構が重なっている | 調査後全体写真を撮影するためのラジコンヘリコプター |
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出土した弥生式土器を復元したもの | 出土した弥生式土器をつなぎ合わせたもの | 左の土器を完全復元したもの |
このトレセンは「ノース ヒルズ」という北海道の生産牧場の所有です。 この牧場やオーナーから3年程前の桜花賞馬ファレノブシス(意味はコチョウラン)や2002年度の皐月賞馬ノーリーズンなどがでています。 余談ながら、これらの馬で、少々儲けました。 |
岸本大成遺跡(灰溶融装置建設予定地) |
灰溶融装置は、可燃ごみを燃やした後の灰や燃えカスなどを多分ガラス状に溶融し、固化させるものです。建材やブロックとして再利用されます。
この場所の調査はなかなか大変でした。土地は柿畑や竹やぶで、表土をはがすまでが大騒ぎ。遺物や遺構もかなり確認されました。10号トレンチなどはひと掻きするたびに土器の破片が出てきたりしました。 |
03.5.15掲載 昨日、当遺跡の調査報告書が教育委員会から発行されました。 ここでは6点の土器、陶器の画像をお届けします。製法や模様、形などの一例としてご覧下さい。 特に緑釉陶器は京都産といわれ、県内での出土は極わずかで大変貴重な物だそうです。報告書の発行を待ってようやくネット発表です。 |
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平安時代の陶器 「緑釉(りょくゆう)陶器」 1,2は京都産。3は京都または周防産。 いずれも9C末〜10C初 特に3は美しい淡緑色 |
完全復元・彩色された 弥生土器・高坏(たかつき)と坏 高坏は食物を盛る脚付きの台 | 格子目タタキ模様の 須恵器(13C頃) |
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円形タタキ?模様の 須恵器 | 羽釜(はがま)と呼ばれる 須恵器 |
回転糸きりの底部 土師器(はじき)の小皿 10C頃? |
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当遺跡に発見された竪穴式住居跡 | 遺跡調査中に出土した土器群 | ほぼ完全な形で掘り出された弥生式土器 |
長者屋敷遺跡(県道岸本ー会見線のバイパス予定地) |
道路の計画に沿って、3m×10mのトレンチを8箇所試掘しました。ここは、奈良時代の郡の役所があったことが確認されていて、現在は田んぼや畑です。
既に20年程前に圃場整備が行われ、盛り土が多量に入れられているので、深くて大変でした。 このあたりは「長者原」という地名なので、小判でも出るかなと期待していたのですが、残念ながら....。 |
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トレンチ内に現れた郡役所の柱跡1 | トレンチ内に現れた郡役所の柱跡2 | トレンチ内に現れた溝跡 |
岸本町内の古墳 |
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岸本七号墳 鳥取県最大級の古墳。直径 45m・高さ4mの円墳又は方墳です。 | 岸本八号墳 七号墳のすぐ隣にある、小さな古墳。子供用かな。 |
吉定一号墳 直径10mの円墳です。 玄室は扁平な割り石を積んでいます。 |
大寺廃寺跡 |
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御存じ・石製鴟尾(しび) 国の重要文化財。白鳳時代のお寺の屋根の両側に設置したもの。町役場の屋根に金の鴟尾が。 | 箱式石棺 6世紀後半の物と思われる。 1.7m×0.45mで人骨や土器、鉄器などが確認された。 | 大寺の塔の心礎(中心柱の基礎)
大寺はR181の両側にまたがっており、塔跡は140u |
越敷山第二遺跡(現・花回廊へ向かう農道) |
![]() | 山陰型甑(こしき)形土器。 古墳時代前期(約1600年前) 縄文時代の住居跡などが確認されています。この土器は蒸し器、つまり調理器具です。高さが約50cmと大きな物です。 町役場ロビーに展示してあります。 |
久古第三遺跡(現・米子自動車道) |
竪穴式住居跡5棟、掘建て柱住居跡18棟が確認されています。弥生時代、古墳時代の土器、鉄器など約160点の遺物も出土しています。 |
番原七つ又遺跡(現・ふるさと農道) |
![]() | 土器棺・甕(かめ) 古墳時代前期(約1600年前) この甕(かめ)は子供の埋葬に使われた物で、高さ約40cm。二つの甕の口が合わさったように出土した。 この遺跡は縄文時代〜古墳時代の遺構、遺物が発見されている。 町役場ロビーに展示してあります。 |
丸山朝日当遺跡(寺院予定地) |
![]() | 縄文土器片・約5cm 私が、初めて見つけた縄文土器片です。数年前にも調査が行われました。 この春先にトレンチ6本の試掘を行い縄文式土器や弥生式土器も発見されました。 |
藍野遺跡(現・幹線用水路施設地) |
![]() | 弥生式土器(壺) 弥生時代中期(約2000年前) 高さ約40cm。 町役場ロビーに展示してあります。 藍野遺跡では、弥生土器以外にも石製の斧、槍、包丁なども出土しており、農耕、狩猟などの生活が伺われる。 |