私のブログ『邪馬台国と面土国』
須佐之男命 その1
面土国の存在を肯定するのと否定するのでは正反対の結果が出てくる例をもう一つ挙げておこう。『古事記』『日本書紀』の編纂者たちは卑弥呼・台与が天照大神であることを知っているが、あえてこれに触れることを避けて神功皇后を卑弥呼・台与だと思わせようとしている。
天照大神が卑弥呼・台与なら、高天ヶ原神話の一方の主人公のスサノオは誰かということになってくる。卑弥呼には弟がいて補佐していたとあるが、天照大神にもツクヨミとスサノオという二人の弟がいる。『日本書紀』の一書には次のようにある。
「天照大神は高天之原を御すべし。月夜見尊は日に配べて天の事を知すべし。素戔嗚尊は滄海之原を御すべし」とのたまふ
ツクヨミは日に並んで天を治めたとあるが、別の一書には「其の光彩しきこと日に亞げり。以て日に配て治すべし。故、亦天に送りまつる」とある。天とは高天ヶ原のことで邪馬台国を意味し、日は天照大神であり卑弥呼だ。ツクヨミは日に並んで天を治めるために天に送りあげられたとあるが、これは卑弥呼を弟が補佐していることを表している。
もう一人の弟のスサノオは根の国に追放された、あるいは海原を治めたとされているが、天照大神とは対立する関係にあるとされているから卑弥呼の弟ではない。海原(滄海之原)を治めたことが海外との交渉を意味するなら、スサノオは面土国王と見るのがよい。
天照大神とスサノオは対立する関係にあったように描かれている。これについては詳しい説明が必要だが面土国王は銅戈を配布した部族に擁立されて倭国王になったが、卑弥呼は銅矛を配布した部族に擁立されて王になった。
かつての倭国王であり卑弥呼共立の最大の当事者だった面土国王は卑弥呼と対立する関係にあったが、それは二大部族の倭王位を巡る対立でもあった。このことが倭国大乱や卑弥呼死後に起きた千余人が殺される争乱の原因になっている。
白鳥庫吉は邪馬台国を肥後国菊池郡の山門郷とし、天照大神を卑弥呼・台与として、スサノオは狗奴国の男王だとしている。白鳥庫吉は面土国については囘土の誤字で、これをウェト国と読んで伊都国こととしているから、必然的にスサノオは狗奴国の男王だとせざるを得ないのだ。
狗奴国は女王国と不和の関係にあったから一見すると合理的な考えのように思えるが、狗奴国は女王の支配下にはないから卑弥呼を共立することはあり得ない。狗奴国王は卑弥呼以前の男王ではないし、スサノオは狗奴国の男王ではない。
狗奴国の官の狗古智卑狗は菊池彦のことで、狗奴国は肥後ではないかとも言われている。私もそのように考えるが肥後とスサノオには全く関係がない。高天が原を追放されたスサノオは出雲に下り、ヤマタノオロチを退治するなど大活躍するが、肥後と出雲にも何等の関係も見られない。
その点において宗像と出雲には密接な関係が見られて、宗像大社を奉祭した宗像氏は大国主の子孫とされている。出雲大社の祭神も中世にはスサノオとされた時期があったが、筑紫神話のスサノオは宗像と関係があると考えることができる。
宗像大社の祭神の三女神は天照大神とスサノオの誓約(うけひ)で、スサノオの所持する剣から生まれたとされていて、宗像と深い関係がある。3女神のタキリヒメは大国主の正妻とされ出雲大社の境内摂社、筑紫社の祭神になっている。
これらのことを見ていくと天照大神が卑弥呼・台与であるのに対しスサノオは面土国王だと考えると辻褄が合ってくる。スサノオは『日本書紀』では素戔嗚、『古事記』では須佐之男と表記されている。
帥升の北京官話音は shuai−shengだが、『後漢書』には帥升が師升と記されていて、この場合にはshuo−shungになる。一方、素戔はsu−chienであり須佐はhsu−tsuoになる。帥升の音と素戔(須佐)の音は非常によく似ているが、特に素戔のsu−chienの音が近い。素戔、あるいは須佐とは帥升のことなのだ。
『日本書紀』の「嗚=u」、『古事記』の「之男=no―o」とは「緒=o」のことだ。「緒」には「はじめ・おこり・いとぐち・すぢ」という意味がある。ホノニニギの天孫降臨に随伴する五柱の神を「五伴緒」(いつのとものお)とする用例があるが、ホノニニギを基点にしてそれに連なる者が五伴緒だ。
「緒」は血筋や系譜が連なっていることを表し、素戔嗚(須佐之男)とは帥升の子孫、あるいは系譜が連なっている者のことをいうが、スサは固有名詞でありスサノオはスサの複数形なのだ。
卑弥呼が王になる以前の70〜80年間の男王はすべてスサノオ(帥升の緒)であり、先に述べた第3の読み方による「刺史の如き」者こそが、天照大神が天の岩戸から出てきたころのスサノオになる。
3世紀の倭人は卑弥呼を「日の巫女」という意味でヒミコと呼び、面土国王を「帥升の緒」(子孫)という意味でスサノオと呼んでいたのではなかろうか。狗奴国の男王の名は卑弥狗呼だがこれはヒコミコ(覡、男の霊媒者)の聞き違いではないだろうか。語呂合わせのようにも思えるが案外に事実かも知れない。
そのスサノオと天照大神の誓約(うけひ)で3女神が生まれる。その3女神を祭神としているのが宗像大社だが、『日本書記』第三の一書は次のように述べている。
即ち日神の生れませる三の女神を以っては、葦原中国の宇佐嶋に降り居さしむ。今、海の北の道の中に在す。此れ筑紫の水沼君等の祭る神、是れ也
「此筑紫水沼君等祭神是也」とあることから見てこの伝承は筑後三潴郡の豪族・水沼君の伝えていたものだが、「宇佐嶋」は宇佐神宮のことであり「海の北の道の中」は宗像大社のことだ。
宇佐神宮二の御殿の比賣大神を宗像3女神とする説があるが、これは豊後の大神氏が持ち込んだもだと思われるが、この文は水沼君が豊後の大神氏や筑前の宗像君と同族関係にあったことを表しているだろう。
私は始祖の明確なものが宗族であり、始祖が不明確で神話・伝説上の始祖を持つのが氏族だと考えているが、宗像3女神は水沼君・宗像氏・大神氏などの神話・伝説上の遠祖なのだろう。
宗像大社は宗像氏が奉祭してきたが、宗像氏は大国主の子孫だとされている。スサノオが面土国王であるのなら宗像郡にスサノオを祀る神社があってもよさそうなものだが、スサノオ自身ではなくスサノオの物実(ものざね)である剣から生まれたとされる3女神が祀られている。
私は宇佐氏が宇佐神宮で天照大神を、また宗像氏が宗像大社でスサノオを祭っていたが、応神天皇を主祭神とし神功皇后・仲哀天皇・竹内宿祢などを祭る八幡信仰が現れたことで、宇佐神宮の天照大神は比賣大神になり、宗像大社のスサノオは宗像3女神に変わるのだと考えている。
同じことが久留米市の高良大社にも言えるようだ。高良大社の祭神、高良玉垂神は竹内宿祢だと言われているが、元来の祭神は卑弥呼の弟(ツキヨミ)か、あるいは卑弥呼死後の男王(オシホミミ)だと考えている。
宗像大社の始源にスサノオが結びついてくるが、宗像大社の本来の祭神はスサノオのはずであり、それはスサノオが面土国王だからだ。
イザナギに追放されたスサノオは高天が原にいる天照大神を訪れるが 、それとは別に出雲に降ってヤマタノオロチを退治するスサノオもいる。高天が原のスサノオと出雲のスサノオとは別個のものだが、どちらも倭国大乱のころのできごとのようだ。 (八岐大蛇 その1)
弥生時代の後半には青銅祭器を配布する部族が存在していたが、銅矛を配布した部族の神格化されたものがイザナギであり銅剣を配布した部族が神格化されてイザナミになる。そして銅戈を配布した部族がスサノオであり、天照大御神を象徴しているのが銅鏡だ。
「帥升の緒」は宗像だけではなく、出雲や大阪湾沿岸・紀伊半島にも居た。私は面土国王は銅戈を配布した部族に擁立されて倭国王になったと考えているが、大阪湾沿岸の「帥升の緒」は大阪湾形と呼ばれている銅戈を配布している。紀伊の神話に見えるスサノオは大阪湾形銅戈を祀っていた宗族だ。
しかし山陰地方の銅戈の出土は出雲大社本殿の西300メートルほどにある命主神社境内で出土した中細形1本だけで、出雲神話のスサノオが生まれるほどの出土数ではない。
出雲大社本殿の背後に鎮座する素鵞社の祭神がスサノオだが、命主神社境内で出土した銅戈は素鵞社の祭神のスサノオに関係がありそうだ。そしてこれは出雲地方に中細形銅剣C類が分布し、瀬戸内に平型銅剣が分布していることにも関係するようだ。
銅剣を配布した部族が神格化されてイザナミになるが、イザナミが出雲に葬られたとされるのは出雲地方に中細形銅剣C類が分布していることを説明している。
イザナミは神避り(神でなくなること)して出雲に葬られたとされてその存在を否定されるが、そのイザナミに代わるのがオオヤマツミ(大山積神、大山津見神、大山祇神))のようだ。
中国地方では出雲・吉備の山間部を中心にして八岐大蛇の伝承があるが、スサノオが八岐大蛇を退治して妻にするクシイナタヒメの祖父とされているのがオオヤマツミで、下図の黄色に塗りつぶした地域に八岐大蛇やオオヤマツミの伝承がみられる。オオヤマツミの伝承は瀬戸内にもみられる。
図の赤点は青銅祭器の出土地点だが、出雲の斐伊川流域(緑色部分)には荒神谷遺跡・加茂岩倉遺跡をはじめとする多数の出土が見られるものの、その周辺(黄色部分)には出土地の明確なものが見られない。
石見・安芸・備後に跨る江の川は中国地方一の大河で、流域には山陰特有の四隅突出型墳丘墓が多数見られるが、島根県石見町の銅鐸2個以外には出土がみられない。ことに備後は山ひとつを越えれば出雲の斐伊川流域になるのに青銅祭器が見られないのはおかしい。
私は荒神谷遺跡・加茂岩倉遺跡の合計410点の青銅祭器は黄色に塗りつぶした地域から回収され埋納されたために、この地域に青銅祭器が見られないのだと考えている。そこは八岐大蛇の舞台であり、オオヤマツミの活動する所だ。
存在を否定されたイザナミに代わるのがオオヤマツミのようだが、これには日向神話で天孫降臨を受け入れるのがオオヤマツミであることと同じ構成になっている。
追放されて出雲に降ったスサノオが八岐大蛇を退治し、オオヤマツミの孫娘のクシイナタヒメを妻にする神話は、天孫降臨の神話でホノニニギがオオヤマツミの娘のコノハナノサクヤヒメを妻にする神話と同じ構成だ。
筑紫神話のスサノオと出雲神話のスサノオは別個のものだが、出雲地方の中細形銅剣C類、及び瀬戸内の平型銅剣が結びついたものがオオヤマツミであり、それに命主神社境内で出土した中細形銅戈1本のことが出雲神話のスサノオとされていると考える。