私のブログ『邪馬台国と面土国』

再考・稍とは その2

部族は同族の宗族長に青銅祭器を配布した

多妻制度

倭人伝に「其の国の俗は、国の大人は皆四、五婦、下戸も或いは二、三婦。婦人は不淫、不妬忌」とある。倭国の有力者は皆、四、五人の妻を持ち、さほど有力でない者でも或いは二、三人の妻を持つというのだ。

この多妻については大人階層に女性の労働力が必要だからだという説や、戦争で男性が死んだために男性が少ないからだという説がある。

大人階層に女性の労働力が必要だからだという説は、イスラム社会などに見られる多妻制度からの発想のように思われるが、大人階層の下には下戸、奴婢階層が存在しており、女性の労働力が必要だったとは考えられない。

大人とは部族の支配者階層、特に宗族長階層をいう。部族はいわゆる政略結婚によって結合していたようで、弥生時代には有力者が多数の妻を持つことが制度になっていたようだ。

中国人の張政の目から見ると多妻は異常であり、それに対して婦人が不淫・不妬忌であることがいぶかしかったのだろう。神話では大国主神が多数の妻を持っていることになっているが、これも多妻制度を反映していると見るのがよい。

大人の権力の強弱は支配している同族の多寡に比例する。単純に考えると五人の妻を持つ大人は2人の実の父母と、10人の義理の父母と、それに比例する数の親族を持つことになる。大人は宗族長など支配者階層であろうからその下には宗族の構成員がいる。

代々の大人が四、五人の妻を持ち続ければ、そのキンドレッドは巨大なものになり、それだけ権力も強くなる。部族を大きくするには武力で圧倒してしまう方法もあるがそれには犠牲が伴う。

簡単で無理のないのが多くの妻を持つことだが、弥生時代には争乱が頻発したことが知られるようになっている。その主原因は部族が勢力を拡大しようとして対立したことにある。

従って弥生時代の争乱は通婚関係が成立することで終結する性格を持っていたと考えるのがよい。争乱を終結させるために、また争乱を未然に防止するためにも大人は多数の妻を持つ必要があったが、それは結果的に支配権を強化することにもなった。

卑弥呼の立場はその逆で神意を降す巫女であったことから多妻制度とは無縁で、どの部族に対しても中立でいられた。このことが女王に共立される要因になっているようだ

部族連盟


部族連盟国家は王が支配するが、王は冊封体制によって支配領域を六百里四方の稍に制限される。しかし部族は王を擁立するものの王そのものでもなく、また国そのものでもないので冊封体制の制限を受けない。部族が幾つの稍を支配してもよいし、何人の王を擁立してもよいのだ。

このことから複数の稍に同族が分布していて、複数の王を擁立することのできる巨大な部族が現れてくる。弥生時代の後半にはこうした大部族は、通婚によって同族関係を擬制した宗族に青銅祭器を配布するようになる。

青銅祭器の配布を受けた宗族は青銅祭器を神体とする宗廟祭祀を行った。青銅祭器は宗族の始祖の霊の依り代であり、宗族は青銅祭器を祭ることで同族として団結していた。それは後の銅鏡を神体とする氏神の祀りとおなじだ。



図は青銅祭器の分布を示したものだが、島根県教育委員会編『古代出雲文化展』図録から借用した。九州北半から東海・北陸にかけて四つの巨大な部族が存在していたことを示している。4大部族は通婚によって同族関係の生じた宗族に青銅祭器を配布して団結し、その勢力を背景として「稍」を支配する王を擁立した。

部族は母系(女系)の結縁集団だが同族としてまとまりにくい性格を持っている。そこで青銅祭器を共有することで同族として団結しようとしたのだ。青銅祭器の分布するところに同族関係を擬制した宗族が分布している。

北部九州から中国・四国地方にかけて、銅矛、銅戈を配布した部族があり、東海から中国・四国地方にかけて銅鐸を配布した部族があった。中国・四国地方には銅剣を配布した部族もあった。この四大部族のほかにも大小多数の部族が存在していただろう。

部族は王を擁立するが、王位を巡って部族間に対立が起きた。2世紀末の倭国大乱や卑弥呼死後の争乱は銅矛を配布した部族と銅戈を配布した部族の対立が原因になっている。

下図の円は稍を表しているが、図を作図するについては青銅祭器の分布を参考にしている。両図を比較してみて頂きたいが、図が恣意的なものでないことは理解いただけると思う。青銅祭器分布図の上段は倭国大乱以前の分布状態が示され、下段は倭国大乱以後の状態が示されている。

図もやはり『古代出雲文化展』図録からお借りしたものだが2世紀末の倭国大乱以後の状態が示されている。右下に図の説明がされているが、それが面白いので紹介しよう。

神庭荒神谷遺跡に青銅器を埋めて青銅の神と決別した出雲は、全国にも先駆けて吉備とともに大きな墓を作ることによる「王」の神格化に成功した。しかし、ほかの地域は青銅器そのものをさらに巨大化させることによって、青銅の神をまつり続けようとしていた

図には山陰や吉備で銅剣・銅鐸が姿を消した弥生時代
後期後半の状態が示されている。北部九州と四国西部に広形銅矛が分布し、近畿と四国東部にW式・X式の近畿式銅鐸が分布し、東海西部に三遠式銅鐸が分布するようになる。

私は「青銅の神をまつる」とは神話・伝説上の部族の始祖を神として祀る宗廟祭祀のことであり、「王の神格化に成功した」とは王の権威が高まったということで、それが氏姓制の大王(天皇)の祖形になるのだと思っている。

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